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群馬県の歯医者さんへの苦情口コミ151

苦情コメント

赤ちゃんも可との事で予約をしましたが
託児付きなのにトイレに赤ちゃんのオムツ替えシートが無いので
困りました スタッフ人数が多いので衛生士の人も毎回違う感じで
落ち着かない気がしました

苦情コメント

かなり長いこと行ってました。今までの歯医者より予防歯科に力を入れてると思います。しかし、いざ歯が悪くなったらの治療方法です。バタバタ走り回ってるのでよく見てない感じです。治療完了した歯が2か月もしないうちに抜歯になったのが2本。他の歯医者の治療方法を馬鹿にして年寄りの先生が治療してますね。と必ず言います。若い先生でもです。自分が1番偉いみたい。歯ブラシや歯間ブラシも使い回しで気持ち悪い。消毒はしてても今時信じられない。

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※医院名・個人名は伏字にさせていただきました。  ライコム

皮膚科外来医『●●●●』はお勧めできません。
他の科で入院中なのですが、湿疹が出来てしまい、皮膚科外来にかかることになりました。年末に処方された『メサデルクリーム』がどうやら私の体には合わなかったようで、塗る度に湿疹がひどくなり年明けから塗らずに放置しておくと大分よくなりました。
先日再診の予約が入っていたので外来に訪れ(入院中なので先生の方から見せて欲しいと呼び出された)、診察が始まり、前回よりも大分良くなっていたので経緯を聞かれたので正直に
『先生の処方してくれた軟膏を塗ったら、どうやら体に合ってなかったみたいで、小さな湿疹がどんどん大きく・・・』
と話をしている最中に
『あっそ。じゃあ塗らないでいいんじゃない』
と吐き捨て、後ろを向いてパソコンに向かってしまいました。カチンとしてしまいましたが、巻き爪も見てもらっているのでグッとこらえて
『先生足の方なんですが・・・?』
と聞くと、患部も見ずに
『前言ったから、それしかないから』
と、またも言葉を吐き捨てました。さすがにこの時は私の手が飛ぶかと思いましたが、あまりに低レベル過ぎるので途中で帰ってきてしまいました。

私が述べたいのは、
私がお願いしたわけではありません、先生自身が『再診したい』と言って自分で日程を決め、『経緯が聞きたい』と自分から言ったのにも関わらず、現実を話すとそれを受け入れず、子供の様な態度をとってしまう先生は“プロ意識に欠ける”ので皆様にはお勧めできないと言うことです。
私は一言も
『先生のせいで酷い正月になっちゃったじゃないか!』
などと文句を言ったわけでも、
『このヤブ医者!』
などと暴言を吐いたわけではありません。聞かれた事を、あくまでも事実をそのままに述べただけのです。
私は病気の関係で、半年以上こちらの病院に入院させてもらっています。先生、看護師含め病院のスタッフの方々はとても良い方々です。
しかし、クチコミを見て来院される方の大半は、外来だと思います。去年から彼の態度には腹が立っていましたが、今回ばかりは流石に堪忍袋の緒がきれました。なので、同じ思いをされる方が少しでも少なくなる様、せめて書き込みを見ている方々だけでも『あぁこの先生にはこう言われる場合もあるんだな・・・』と言う事前情報をと思い書き込みさせてもらいました。
皮膚科外来は土曜日は群馬大学から先生がいらっしゃいます。私はそちらの先生をお勧めします。
また、他の科にはそれぞれ個性がありますが沢山良い先生がいらっしゃいます。看護師の方々も献身的に看護してくださりとてもいい病院です。決して病院自体が悪いわけではありません。それだけは最後に述べておきます。
以上です。

苦情コメント

受付と医師の連絡網と医師と助手の連絡網も出来てなく2箇所奥歯と前歯欠けと言ったが全く前歯を無視され二度目は流石にしたが簡単な詰め込みで翌日詰めたのがボッロボロ剥がれ余計歯欠けなり、とぉとぉ歯が抜けた…医師は今まで何ヶ所も歯科医を見たがあんな酷い歯医者は有り得ない。こんな歯科医しかないなら歯が全て抜け落ちた方がカナリまし。お金と時間の無駄過ぎる無駄使いした

苦情コメント

父が肺がんで入院しました。担当はS医師でしたが、最初から横柄な印象で(菓子折りを持って挨拶に行った処、あからさまに「忙しいのに」と迷惑そうな対応を取られた)、入院中の父のストレスになるのでは、と心配していました。
抗がん剤投与後、今後の治療方針を聞く相談日に父と私で行くと、こちらが何も言っていないのに「治そうと考えて頂いても困りますから」と言われ、驚きました。私だって、肺の進行がんが完治するなんて思っていませんし、治せなんて言う気も無い。ただ、父は少しでも長く生きたいと、希望を捨てずに治療を受けていたのに…隣で震えていた父を思い出すと、今でも許せません。
その後、父は退院し自宅待機中、呼吸困難になり救急車で運ばれましたが、また別のS医師に「外来で来て下さい」と言われ、付き添った母もさすがに「死にかけてるのに!」と医師に怒ったそうです。
結局そのまま父はICUに入り、明け方に亡くなりました。担当医には「最悪〇月まで」と余命宣告を受けていましたが、それより2ヶ月近くも早くでした。