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御免下さい。 およそ2ヶ月程前、一度こちらに拙文をお寄せした者でございます。 今月の初め、術後3ヶ月目の検診で、再びそちらに伺い、あらためて深く感じ入りましたのは、先生方のお腕前の確かさと、患者に対する眼差しの温かさでございました。感謝の気持ち抑えがたく、帰宅して直ぐ、今一度のお礼投稿をと、本欄を開きました処、なんと、前回のわたくしの後には、未だ、どなたもご寄稿なさって居られない事を知りました。このまま打ち込みますと、わたくしのが、二稿続くことになり、文脈の性質上、もしや悪くすると、『やらせ』が如き、不本意なお疑いが掛かる恐れ、無しとは言えませず、しばらく日を置いて、他の方のが載るのを、お待ちしすることに致しました。 しかし、待ち待ちて、早、月が替る頃ともなりましたのに、いささかの変化なく、このままでは、肝心の感謝の適期を逃してしまうと心急き、この上は、先ずは、書き始めなくてはと、今、パソコンに向かう次第です。 文筆に慣れませず、また、機械に疎く、お読みになり辛い、長文になるかと存じますが、どうか、皆様のご寛容をもって、お赦し頂きたく存じます。 前回述べましたように、わたくしは、多くの悪条件を抱えて、悲惨な状態に長く耐えて参りました。顔貌の不足にも倍して、苦しんで来ましたのは、幾つかの音の発音のし辛さと、前歯で食物が、まともに噛み切れない、切なさでございました。 岡大の先生方は、そのようなわたくしの、左右の顎の偏りを直し、あれ程にズレていた正中線をピッタリと合わせ、酷い反対咬合の下顎を、ギリギリ可能な位置にまで引っ込める事によって、それらを全て解決して下さったばかりか、わたくしの期待をはるかに超えて、口元の印象までも、大きく改善して下さいました。 どれほどのご苦心と、ご努力を賜りましたことか、そのご度量、そのお腕前、最早、人身を究め、超えたものに想われて、わたくしは、心底密かに手を合わせます。 『ゴッドハンド』と言う言葉がございます。「神の手」、まさしく先生方に相応しいと思い、良い言葉を見つけたと喜び、飛びついて、最高の賛辞のつもりで申し上げて参りました。無論、今、その心が色褪せることは、寸分もございません。 けれども、最近、あちこちで割と気軽に使われ、崇高にして、厳粛、と考えて参りましたこの言葉の、もちろん平面的価値についてのみではございますが、少し揺らぎ居るかに想われて参りました。それは、偏狭なわたくしのみの、いびつな杞憂であろうか、とも想います。実際、他に代わる言葉の見つけ難い、言い得て妙な、完璧な響きがございます。しかし、既製の言葉は、所詮、ひと様からの借り物でございます。 便利だからといって、借り物にて、大切な方々への謝辞と致しました事を恥じて、お詫び致したく存じます。 いまだ手垢のつかぬ、これに代わる言葉を探して、いまさら乍らに気づきました。形容詞に納まりきらぬ想い、言葉では言い尽くせぬ想いは、その事自体が答えなのだと。 ネットの危険性を想います時、この場にご尊名をお明かしする事は、事前に如何なる許可をも頂いては居りませず、矢張り、控えなければと存じますが、せめて伏せ字にても、この想い、惻隠の情にてお酌みとり頂きたく、ご無礼を、どうか、お許し頂きたく存じます。 口腔外科の 西○明○先生 紹介状を手に、初めて先生の元をお尋ね致しました時のわたくしは、「ここで断られてなるものか!」と、必死に身構えておりました。しかし、意に反して、先生は、余りにも穏やかに、静かに、わたくしの愁訴を聞いて下さいました。 肩の力がスーッと抜け、優しいお言葉、そのおひとつ一つの嬉しさに、未だ醒めやらぬ夢かと耳を疑い、目は潤みました。 先生がもし、許諾して下さらなかったら、わたくしの、今日のこの幸せはございません。 伊○木先生のご診察を受けます時も、先生は、短い時間でも、必ずお顔を見せて下さり、ご一緒にアドバイス下さいます。お忙しいのに、いつも、こんなにもお心を砕いて下さること、本当に、なんと嬉しく、有り難く、幸せなことでございましょうか。 先生のその温かいお心と、素晴らしい御手の技によって、わたくしは救われました。 伊○木○一○先生 先生の御前に座ります時、わたくしは、非常に饒舌になります。この目覚しい回復ぶりが、もう、嬉しくてたまらず、執刀下さった先生に、一刻も早く、ご報告し、感謝申し上げたくて、言葉が溢れ、こぼれるように、止まらないのです。ネットで、「反対咬合」を調べますと、多くの方が、痺れが長く取れないことに不満を漏らして居られます。しかし、わたくしの場合は、すでにご報告致して居りますように、そこ、3ヶ月を過ぎるか過ぎないかの内にもう、ほんの僅か、と思う位にまでになり、今では早、この有様でございます。誰にお聞きしなくても、自らの身体でございます。それが如何に早いか、只々、驚愕するばかりです。 お気づきでしょうか?わたくしの目が、しばしば先生の御手の上で止まって居ります事を。 本当に、パーフェクトな御技をご披露頂きましたその有難い御手を、まじまじと拝さずには居られないのでございます。 また、年寄りのクドクドしい話を、辛抱強くお聞き下さり、様々な説明も、大変分かり易く、噛み砕くようにして下さいます。そのお心配りにも、深く、深く感謝申し上げます。 吉○徳○先生 先生にお目にかかりました折、わたくしは、何か、フワッとした、不思議な安堵感に包まれました。あの時申し上げましたように、手術に対する不安は、全くございませんでしたので、安堵感を覚えた、と言うのは、一見、矛盾するように思われるかと存じますが、人の優しさとか、品性とか、知性とか、そのような美質は、不安の有無などとは、次元を異にして、何となく、それとなく、対峙する者に、香わしく伝わり来るものでございます。 先生とわたくしでは、年齢が、多分、倍程にも離れており、表現としては、あるいは、適正を欠くかと案じますが、先生の、その、ゆったりとして温かい、人をまろやかに包み込むような、柔らかで優しい雰囲気は、いつも、わたくしに、普遍的な意味での、母性を感じさせます。それは、きっと、あの不思議な安堵感と無縁ではございません。わたくしは、今回、何かにつけ、最高の幸運に恵まれました。男性の先生方の父性と、吉○先生の母性が、絶妙な連携で、こんなにも嬉しい結果をもたらして下さったのだと想っております。 先生は、まだお若くいらっしゃいます。これから先、どれ程多くの患者が、その御手によって救われることでございましょうか。女性に、怜悧一辺倒の、寒々しいお人が増えた今の世にあって、眩しいほどに、颯爽と、しかも、かくまでに、ほのぼのと情味豊かな方が、人が最もナーバスになり易い医療の場の第一線に居て下さることに、わたくしは、非常な頼もしさを感じますと共に、そのお姿、まこと、仰ぐ想いでお見受け致して居ります。 麻酔科の 樋○仁先生 外来の診察室でお見掛けする事はなく、直接お礼を申し上げる機会は、最早無いかと、申し訳なく存じます。 手術に際しましては、身体はピンピンして居りますので、インターフォンでお呼び頂ければ、こちらから出向きますのに、わざわざ、病室まで説明にお越し下さり、大変恐縮致しました。 麻酔とは、なんと有難いものでございましょうか。何かスースーと音のする空気が鼻先にあてがわれたとは思いましたけれど、いつ眠りましたやら、気持ちよく、全く分からぬままに、気づいたら、病室に運ばれて居りました。再び快い眠りに墜ちて、気付いた時は、朝でございました。その時も、痛みは全く無く、狐につままれたようなとは、この事かと思いました。 魔法のような、その御手のお陰に依り、何の恐れもなく、手術を受ける事が出来、幼時より悩み、苦しみ抜いて参りました障害から開放され、今日のこの幸せを手にすることが出来ました。感謝の二文字に込めますその想いの深さは、とても、言い表せることではございません。 岡大には、先生方を始め、多くのスタッフがおいでになりますが、いつも参ります度に、出会います方、出会います方、皆様親切にして下さり、一度として、嫌な気持ちになった事はございません。これからも、お世話になりますが、どうか、よろしくお願い致します。 才なく、短くしようと頑張っても、結局は、どこも端折り切れなかった、この長い長い拙文を、辛抱をもって最後までお読み頂き、本当に有難うございました。すべてを感謝の内に、ここに結びたく存じます。
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御免下さい。
およそ2ヶ月程前、一度こちらに拙文をお寄せした者でございます。
今月の初め、術後3ヶ月目の検診で、再びそちらに伺い、あらためて深く感じ入りましたのは、先生方のお腕前の確かさと、患者に対する眼差しの温かさでございました。感謝の気持ち抑えがたく、帰宅して直ぐ、今一度のお礼投稿をと、本欄を開きました処、なんと、前回のわたくしの後には、未だ、どなたもご寄稿なさって居られない事を知りました。このまま打ち込みますと、わたくしのが、二稿続くことになり、文脈の性質上、もしや悪くすると、『やらせ』が如き、不本意なお疑いが掛かる恐れ、無しとは言えませず、しばらく日を置いて、他の方のが載るのを、お待ちしすることに致しました。
しかし、待ち待ちて、早、月が替る頃ともなりましたのに、いささかの変化なく、このままでは、肝心の感謝の適期を逃してしまうと心急き、この上は、先ずは、書き始めなくてはと、今、パソコンに向かう次第です。
文筆に慣れませず、また、機械に疎く、お読みになり辛い、長文になるかと存じますが、どうか、皆様のご寛容をもって、お赦し頂きたく存じます。
前回述べましたように、わたくしは、多くの悪条件を抱えて、悲惨な状態に長く耐えて参りました。顔貌の不足にも倍して、苦しんで来ましたのは、幾つかの音の発音のし辛さと、前歯で食物が、まともに噛み切れない、切なさでございました。
岡大の先生方は、そのようなわたくしの、左右の顎の偏りを直し、あれ程にズレていた正中線をピッタリと合わせ、酷い反対咬合の下顎を、ギリギリ可能な位置にまで引っ込める事によって、それらを全て解決して下さったばかりか、わたくしの期待をはるかに超えて、口元の印象までも、大きく改善して下さいました。
どれほどのご苦心と、ご努力を賜りましたことか、そのご度量、そのお腕前、最早、人身を究め、超えたものに想われて、わたくしは、心底密かに手を合わせます。
『ゴッドハンド』と言う言葉がございます。「神の手」、まさしく先生方に相応しいと思い、良い言葉を見つけたと喜び、飛びついて、最高の賛辞のつもりで申し上げて参りました。無論、今、その心が色褪せることは、寸分もございません。
けれども、最近、あちこちで割と気軽に使われ、崇高にして、厳粛、と考えて参りましたこの言葉の、もちろん平面的価値についてのみではございますが、少し揺らぎ居るかに想われて参りました。それは、偏狭なわたくしのみの、いびつな杞憂であろうか、とも想います。実際、他に代わる言葉の見つけ難い、言い得て妙な、完璧な響きがございます。しかし、既製の言葉は、所詮、ひと様からの借り物でございます。
便利だからといって、借り物にて、大切な方々への謝辞と致しました事を恥じて、お詫び致したく存じます。
いまだ手垢のつかぬ、これに代わる言葉を探して、いまさら乍らに気づきました。形容詞に納まりきらぬ想い、言葉では言い尽くせぬ想いは、その事自体が答えなのだと。
ネットの危険性を想います時、この場にご尊名をお明かしする事は、事前に如何なる許可をも頂いては居りませず、矢張り、控えなければと存じますが、せめて伏せ字にても、この想い、惻隠の情にてお酌みとり頂きたく、ご無礼を、どうか、お許し頂きたく存じます。
口腔外科の
西○明○先生
紹介状を手に、初めて先生の元をお尋ね致しました時のわたくしは、「ここで断られてなるものか!」と、必死に身構えておりました。しかし、意に反して、先生は、余りにも穏やかに、静かに、わたくしの愁訴を聞いて下さいました。
肩の力がスーッと抜け、優しいお言葉、そのおひとつ一つの嬉しさに、未だ醒めやらぬ夢かと耳を疑い、目は潤みました。
先生がもし、許諾して下さらなかったら、わたくしの、今日のこの幸せはございません。 伊○木先生のご診察を受けます時も、先生は、短い時間でも、必ずお顔を見せて下さり、ご一緒にアドバイス下さいます。お忙しいのに、いつも、こんなにもお心を砕いて下さること、本当に、なんと嬉しく、有り難く、幸せなことでございましょうか。
先生のその温かいお心と、素晴らしい御手の技によって、わたくしは救われました。
伊○木○一○先生
先生の御前に座ります時、わたくしは、非常に饒舌になります。この目覚しい回復ぶりが、もう、嬉しくてたまらず、執刀下さった先生に、一刻も早く、ご報告し、感謝申し上げたくて、言葉が溢れ、こぼれるように、止まらないのです。ネットで、「反対咬合」を調べますと、多くの方が、痺れが長く取れないことに不満を漏らして居られます。しかし、わたくしの場合は、すでにご報告致して居りますように、そこ、3ヶ月を過ぎるか過ぎないかの内にもう、ほんの僅か、と思う位にまでになり、今では早、この有様でございます。誰にお聞きしなくても、自らの身体でございます。それが如何に早いか、只々、驚愕するばかりです。
お気づきでしょうか?わたくしの目が、しばしば先生の御手の上で止まって居ります事を。
本当に、パーフェクトな御技をご披露頂きましたその有難い御手を、まじまじと拝さずには居られないのでございます。 また、年寄りのクドクドしい話を、辛抱強くお聞き下さり、様々な説明も、大変分かり易く、噛み砕くようにして下さいます。そのお心配りにも、深く、深く感謝申し上げます。
吉○徳○先生
先生にお目にかかりました折、わたくしは、何か、フワッとした、不思議な安堵感に包まれました。あの時申し上げましたように、手術に対する不安は、全くございませんでしたので、安堵感を覚えた、と言うのは、一見、矛盾するように思われるかと存じますが、人の優しさとか、品性とか、知性とか、そのような美質は、不安の有無などとは、次元を異にして、何となく、それとなく、対峙する者に、香わしく伝わり来るものでございます。
先生とわたくしでは、年齢が、多分、倍程にも離れており、表現としては、あるいは、適正を欠くかと案じますが、先生の、その、ゆったりとして温かい、人をまろやかに包み込むような、柔らかで優しい雰囲気は、いつも、わたくしに、普遍的な意味での、母性を感じさせます。それは、きっと、あの不思議な安堵感と無縁ではございません。わたくしは、今回、何かにつけ、最高の幸運に恵まれました。男性の先生方の父性と、吉○先生の母性が、絶妙な連携で、こんなにも嬉しい結果をもたらして下さったのだと想っております。
先生は、まだお若くいらっしゃいます。これから先、どれ程多くの患者が、その御手によって救われることでございましょうか。女性に、怜悧一辺倒の、寒々しいお人が増えた今の世にあって、眩しいほどに、颯爽と、しかも、かくまでに、ほのぼのと情味豊かな方が、人が最もナーバスになり易い医療の場の第一線に居て下さることに、わたくしは、非常な頼もしさを感じますと共に、そのお姿、まこと、仰ぐ想いでお見受け致して居ります。
麻酔科の
樋○仁先生
外来の診察室でお見掛けする事はなく、直接お礼を申し上げる機会は、最早無いかと、申し訳なく存じます。
手術に際しましては、身体はピンピンして居りますので、インターフォンでお呼び頂ければ、こちらから出向きますのに、わざわざ、病室まで説明にお越し下さり、大変恐縮致しました。
麻酔とは、なんと有難いものでございましょうか。何かスースーと音のする空気が鼻先にあてがわれたとは思いましたけれど、いつ眠りましたやら、気持ちよく、全く分からぬままに、気づいたら、病室に運ばれて居りました。再び快い眠りに墜ちて、気付いた時は、朝でございました。その時も、痛みは全く無く、狐につままれたようなとは、この事かと思いました。
魔法のような、その御手のお陰に依り、何の恐れもなく、手術を受ける事が出来、幼時より悩み、苦しみ抜いて参りました障害から開放され、今日のこの幸せを手にすることが出来ました。感謝の二文字に込めますその想いの深さは、とても、言い表せることではございません。
岡大には、先生方を始め、多くのスタッフがおいでになりますが、いつも参ります度に、出会います方、出会います方、皆様親切にして下さり、一度として、嫌な気持ちになった事はございません。これからも、お世話になりますが、どうか、よろしくお願い致します。
才なく、短くしようと頑張っても、結局は、どこも端折り切れなかった、この長い長い拙文を、辛抱をもって最後までお読み頂き、本当に有難うございました。すべてを感謝の内に、ここに結びたく存じます。
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